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「術後1年」と「お誕生日」

2013/07/05 19:28
5月の終わりに術後1年経過したムクちゃん。
我が娘ながら、よく頑張っているなぁ~と思う。
こんなにも期待に応えてくれる娘だったのかと、驚かされるのだ。
ムクちゃんは、自慢の愛娘ちゃんです。

今日は、書くよ。だから、長いよー。
少ないけど、11歳になったムクちゃんの写真をところどころに紹介しつつ。

20130705_03.jpg



胆嚢、十二指腸、胆管、胃、肝臓。
それが去年のオペでメスやらカテーテルやらが入った臓器のすべて。
先生が明言する「大がかりな手術」だった。

けれど。

何度も言うけど根治のための手術ではなかった。
閉塞しかかっていた胆管を緩和させるための処置だった。
その処置を受けなければ、スグに旅立ちの支度をされてしまう状態だったんだ。
午後一の手術が終わって、夕方遅くに面会できたけど、
大がかりな手術後の安静を保つために、意図的に意識レベルを下げられて眠っている状態だった。

ザックリ切られた胸部から下腹部にかけての正中創。
当然、姿勢が保てないから、背中にペットシーツで作ったクッションが当てがわれていた。
その姿を見て、足元からサーッと血の気が引いて、体温が急激に下がっていくのを自覚した。
術後の闘いが、今までの中で最も厳しく、最も大変であろうことが、一目瞭然の状態だったんだよ。

だけどその姿を見て、泣いて、泣いて、泣いて...ではなかった。
原因部位は、臨床経験豊富な先生でも、手を出せない部位で、ムクちゃんの体内に残ったまま。
それが、また悪さをするかもしれないという恐れと
以前のような体力が、回復するかどうかわからない恐れ。

加えて、先生のいつもの「大丈夫!治ります!」という太鼓判はない。
それどころか、大学病院にムクちゃんのようなケースを委託手術に出すと
安楽死を進められ、とても苦しい思いを今まで抱えていたことを先生が告白してきたのだ。
今は、先生の2人態勢となっているから、委託に出していた手術が自分で執刀できるようになって
「この症状を緩和する処置をして、ご家族と過ごす時間が長くできるなら、その方が僕はいい。
実際にムクちゃんと同じケースのワンちゃんがいるけど、いい時と悪い時を繰り返しながら、
術後5年経過している。」という先生の思いも語ってくれた。

でも、それでも先の見えない恐れが、実感として迫っていた。
泣くことよりも、一日一日を確実にクリアしていかなきゃっていう、
目先の小さな時間の単位を見つめて過ごしてゆく方法しか考え出せなかった。

実際、帰宅してからの術後のケアは大変だった。

急激に体重が減った。
文字通りの病的な痩せ方だもん。本来の機能を失う痩せ方よ。
アゴさえも痩せ、噛み合わせが変わってしまって、
奥歯での咀嚼が上手くできなくなった。
つまり、固形物が上手に食べられない。
最初は頑張って食べてたけど、咀嚼に疲れ、
食べることへの執着と、食べる自信を失っていった。
そんな子に、無理にでも固形物を「食べて!」とは言えなかった。
でも食べさせないといけない。
食べて身体にタンパクを取り入れないと、細胞を活性化させることができない。
だから、フードプロセッサーで、毎食ごとにペースト状のご飯を作った。
甘やかしじゃない。生きるために必要なペースト状のご飯だった。
毎回完食はできなくても、少しずつ食べられる量が増えていった。
そうしたら、食べることへの自信が回復した。
完食できた日は、大喜びでね。嬉しくて仕方なかったなぁ。

だけどねー、すんなりと順調にはいかなくてね。

胃と十二指腸にメスを入れてるし、
肝臓からダイレクトにドバーッと流れ込んでくる胆汁の制御が上手にできなくて、

食べても オエッ オエッ ブシャー!! 

とにかく吐くことが多くなった。
加えて、肝機能のチェックのために、毎週血液検査。
吐きが続いて体調が悪い日は、血管の弾力も失せ、針さえ上手く刺さらなくなる。
膨らんだ風船は針が刺しやすいけど、萎んだ風船には針が刺しにくいのと一緒。
ようやく針が刺さったとしても、肝心の血が上がってこない。
なーんてことも、多々あった。

細胞の活性化は遅々としていて、何もかもが、本当に厳しかった。

だって、ザクっと切られた胸部から下腹部にかけての正中創さえ、なかなか着かなかったもん。
全部の抜糸まで、1カ月以上かかったんだから!
術後服姿のムクちゃんを長い時間、見ていた気がするんだよね。
それに、コームをかけても、抜け毛のない日が続いた。
新陳代謝さえムクちゃんの体は忘れてしまっていたんだよ。
刈り取られてたお腹の毛は、全く伸びてこなかったし。

それでも一日一日をなんとかクリアできてた。

夏をやり過ごし、秋になって、冬の声を聞いた頃。
コームをかけて抜け毛が出るようになった。
吐くのは、変わらずだった。むしろ増えちゃってたねー。
体重の増加は、望めなかったっけ。
食べることと、吐くこととの闘いは、とても厳しかった。
でもね、それでも持ちこたえられていたのは、
もともと、しっかりと体重のあった子だったから!!

年を越して、冬を乗り切って、春を迎えた。
4月になって、初めて検査結果で正常値が出た。
計測不能領域だった頃のことがあったから
正常値という結果は、全員が驚きだったのだよ。

20130705_01.jpg

それなのに。
あろうことか数日で急変した。
術後最大級の オエッ オエッ ブシャー!!

いつもと違う吐しゃ物。
血が酸化したかのような黒いモノが、点々と混ざってた。
いつもは、後始末のときにニオイなんて嗅がないんだけど
何故だかそのときは、ニオイを嗅いでみたんだ。
そうしたら、腐敗臭がして、たちまちパニックになった。

どうして体の中から、腐ったモノが出てくる?

どう考えても普通じゃない。
間が悪いことに、休診日だった。翌日まで、不安で眠れなかった。
ムクちゃんのことで、あんなにも動揺して、酷く取り乱したことは、初めてだったと思う。
翌日、朝一で病院へ駆け込んだら、検査入院のつもりが、結局入院になったという顛末を
4月の記事でサラッと書いてたけど、本当はいろいろな思いが交錯してたんだ。
(パニックになった腐敗臭は、十二指腸で停滞した食物が、そこで腐敗したから。
 ニオイを嗅いでいたことが、十二指腸通過障害の特定につながった。ファインプレー!)

でね。
私、初めて泣いた。そして逃げた。

今まで何度も「入院・手術」のパターンはあったけど、ちゃんと先生と対話して、
最優先で、今すべきことの判断さえも先生と呼吸を合わせることができてた。
でも、その時だけは、入院と決まった時点で、もうどうにも耐えられず、
いつものようには、何一つできなかった。
診察室から出て、過酷な現実を前にして、涙が溢れてきてしまって
どうしようもなく車の中で泣いてしまった。止まらない涙だった。

「ムクちゃんばかり、どうしてこんなことになるの。」と心が折れた。

もう、心がいっぱいだったんだと思う。闘病が1年近くになってたし。
そんなわけで、入院のスケジュール、経過が悪くなった場合のこと、
諸々の細かな調整は、全部、夫任せにしてしまった。
私は、初めての泣きと、初めて逃げの姿勢を取ってしまったのだよ。

でも。

ムクちゃんの入院中、いろいろなことを見つめ直した。
だって心が折れたまんまじゃ、ダメだから。
先生や夫と対話しながら、闘病の心構えを再構築。
お見舞いに行く度に見る、頑張って治ろうとしているムクちゃんの強さは、
私をまた闘う気にさせてくれた。希望さえもくれた。
ムクちゃんって本当に、すごい娘なの。
そんなわけで、戦線離脱しかけた私だったのに、ちゃんと軌道修正できた。

その入院事件が、きっかけになって、ある思いが溢れ出して止まらなくなった。
それはね、今世ではヒト科とネコ科だけど、来世では絶対にヒト科の親子になりたい!って。
一体、どんだけ親ばかよぉ~?? でしょ(爆)


食べることと、吐くこととの闘いは、これからも続くけど
「ずっと一緒だよ」というムクとの最初からの約束が、
ずっ~~~~~と続くように、良くなるイメージを持ちながら、
甘やかしたり、なだめすかしながら、時には厳しく?!
「良くなったね!」と褒めると、気が緩むのか、体調を崩すパターンが続いてるから
「ここのところ落ち着いてるね^^」って言うことにした。
そうやって、ムクちゃんをフォローしながら、楽しい毎日を過ごしたい。


そんなわけで。

ムクちゃん、11歳のお誕生日おめでとう。

20130705_02.jpg



えー、今更書く??ってな内容を
とりとめのない長文で綴ってしまって、ごめんねー。
誤字・脱字等々、ご勘弁を。



最後に。
ここのところのムクちゃんは、落ち着いてます♪
ご飯もカリカリをバリバリ食べてるので、体重は3.05キロで落ち着いてます。
みなさんが送り続けてくださってる「良くなるイメージ」の効果アリだと思ってます^^
感謝してます!!



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